ミステリーにおけるタブー
最近また映画鑑賞の速度を加速させていて、で、鑑賞体験はどんどん蓄積しているので映画に求める水準が無限に上がってる。
『ファイトクラブ』とか『グリーンマイル』を鑑賞する一方で『僕は友達が少ない』とか『ハンガーゲーム』みたいな見える地雷も踏んで、自身のクソ鑑賞耐久強度を上げてバランスを取ってるつもりなんだけど、「これ○○の下位互換じゃね?」とか「何だよ新規性ねーじゃん」という感想ばっかり出る。
ここで本題。最近『シャッターアイランド』という映画を観たんだけど「これかなりクソじゃね?」と思った。これは自分の求める水準が上がったからなのか純粋にクソなのか自信が無いのでとにかく気になった事を書き連ねる。
あらすじ
1954年、連邦保安官テディ・ダニエルズ(レオナルド・ディカプリオ)とチャック・オール(マーク・ラファロ)ら捜査部隊は、ボストンハーバーの孤島(シャッターアイランド)にあるアッシュクリフ精神病院を訪れる。この島でレイチェル・ソランドという1人の女性が、"The law of 4; who is 67?" という謎のメッセージを残して行方不明となった。強制収容されている精神異常犯罪者たちの取り調べを進める中、その病院で行われていたマインドコントロールの事実が明らかとなる。
あと、これがどういう風にマーケティングされていたかというと、日本では「衝撃のラスト」という触れ込みで宣伝され、上映前には「この映画のラストはまだ見ていない人には決して話さないでください」「登場人物の目線や仕草にも注目しましょう」という旨のテロップが入った。らしい。(またWikiから引用)
しかもまた映画の謎解きに集中するために「二度見キャンペーン」や原版に忠実な「超吹き替え版」の上映も行われた。だとか。
まぁこういう前情報があるミステリーだと、僕は結構集中して真面目に謎解いてやろうとしちゃう性質なんです。
で、ミステリーとして売り出しているからには最低限ミステリーのマナーを守るべきですよね。ミステリーのマナーとはよく言われているのが、ヴァンダインの二十則とノックスの十戒です。(長いんで流し読み推奨)
ヴァンダインの二十則
- 事件の謎を解く手がかりは、全て明白に記述されていなくてはならない。
- 作中の人物が仕掛けるトリック以外に、作者が読者をペテンにかけるような記述をしてはいけない。
- 不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない。ミステリーの課題は、あくまで犯人を正義の庭に引き出す事であり、恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くことではない。
- 探偵自身、あるいは捜査員の一人が突然犯人に急変してはいけない。これは恥知らずのペテンである。
- 論理的な推理によって犯人を決定しなければならない。偶然や暗合、動機のない自供によって事件を解決してはいけない。
- 探偵小説には、必ず探偵役が登場して、その人物の捜査と一貫した推理によって事件を解決しなければならない。
- 長編小説には死体が絶対に必要である。殺人より軽い犯罪では読者の興味を持続できない。
- 占いとか心霊術、読心術などで犯罪の真相を告げてはならない。
- 探偵役は一人が望ましい。ひとつの事件に複数の探偵が協力し合って解決するのは推理の脈絡を分断するばかりでなく、読者に対して公平を欠く。それはまるで読者をリレーチームと競争させるようなものである。
- 犯人は物語の中で重要な役を演ずる人物でなくてはならない。最後の章でひょっこり登場した人物に罪を着せるのは、その作者の無能を告白するようなものである。
- 端役の使用人等を犯人にするのは安易な解決策である。その程度の人物が犯す犯罪ならわざわざ本に書くほどの事はない。
- いくつ殺人事件があっても、真の犯人は一人でなければならない。但し端役の共犯者がいてもよい。
- 冒険小説やスパイ小説なら構わないが、探偵小説では秘密結社やマフィアなどの組織に属する人物を犯人にしてはいけない。彼らは非合法な組織の保護を受けられるのでアンフェアである。
- 殺人の方法と、それを探偵する手段は合理的で、しかも科学的であること。空想科学的であってはいけない。例えば毒殺の場合なら、未知の毒物を使ってはいけない。
- 事件の真相を説く手がかりは、最後の章で探偵が犯人を指摘する前に、作者がスポーツマンシップと誠実さをもって、全て読者に提示しておかなければならない。
- よけいな情景描写や、わき道にそれた文学的な饒舌は省くべきである。
- プロの犯罪者を犯人にするのは避けること。それらは警察が日ごろ取り扱う仕事である。真に魅力ある犯罪はアマチュアによって行われる。
- 事件の結末を事故死とか自殺で片付けてはいけない。こんな竜頭蛇尾は読者をペテンにかけるものだ。
- 犯罪の動機は個人的なものがよい。国際的な陰謀とか政治的な動機はスパイ小説に属する。
- 自尊心(プライド)のある作家なら、次のような手法は避けるべきである。これらは既に使い古された陳腐なものである。
- 犯人は物語の当初に登場していなければならない
- 探偵方法に超自然能力を用いてはならない
- 犯行現場に秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない(一つ以上、とするのは誤訳)
- 未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない
- 中国人を登場させてはならない (この「中国人」とは、言語や文化が余りにも違い、既存の価値観や倫理観が通用しない外国人全般、という意味である)
- 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない
- 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない
- 探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならない
- “ワトスン役”は自分の判断を全て読者に知らせねばならない
- 双子・一人二役は予め読者に知らされなければならない
(引用:ノックスの十戒 - Wikipedia)
で、ここから『シャッターアイランド』のネタバレを含むので注意してください。
(引用:人物相関図:映画「シャッターアイランド」徹底解説サイト)
この映画は主人公のテディが語り部であり、彼を中心に物語が進行していきます。保安官である彼は新しい相棒のチャックと共に逃げ出した精神病者レイチェルを探しに島を訪問。でも彼の真の目的は妻シャナルを殺害した凶悪犯レディスがこの島に収容されているとノイスから情報を得ており、彼への復讐を果たそうとする。
この映画では序盤にある程度の物語の核をなす登場人物が出てきますが、レイチェルの主治医であるシーアンが出てこない位ですかね。
この与えられた条件の中で謎解きをしていくわけですけど、初めに建物の配置とか目撃時間の証言とか、色々ヒントが出るわけですよね。レイチェルはどうやって逃げてどこに隠れているのか?彼女が残したメッセージの意味は?コーリーの陰謀は?とか。
これね、ぜーんぶ考えても無駄です。
人物関係におけるネタバレをすると、
- 主人公のテディと凶悪犯レディスは同一人物
- 相棒のチャックとシーアンは同一人物で、テディの観察をしていた
- レイチェルは存在せず、子殺しをしたのはシャナル
- つまりテディが妻シャナルを殺害
- 洞窟で会ったレイチェルと思しき女性は妄想
- ノイスはただの患者
・・・。
あのさぁ・・・。これミステリーだよね・・・?
上のミステリーのルールにもあったけど
- 作中の人物が仕掛けるトリック以外に、作者が読者をペテンにかけるような記述をしてはいけない。
- 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない
- 双子・一人二役は予め読者に知らされなければならない
これらは守られているのか・・・?仮に、もし仮に守られているにしても、作者自身が提示したヒントを後から捻じ曲げるというのはどうなんだ?確定した事実を後からひっくり返されると判断材料はもうしっちゃかめっちゃかで、こっちとしては推理どころではなくなる。というか、矛盾する説明箇所に関しては主人公の妄想だったで済まそうとしてるのヤバくないか??そんな薄い理屈が通ると思うか??????
これが『シックスセンス』みたいな叙述トリック的解決をされていたのであればまだギリギリ許せたと思う。あるいは、こんなクソみたいな宣伝の方法をしなければ良かった。クローズドな環境を準備して、「さぁ謎解きしましょう」と言われると、そういう趣旨の映画だと普通の視聴者は思い込んでしまうし、こんな種明かしをされてもキレるだけでは。
個人的に、ミステリーのタブーとして、「実際に証拠として提示したものに関して、あとからコロコロひっくり返すのは作者の敗北宣言である」というのを付け加えて欲しいと思った。