クソザコナメクジ

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散髪の呪術的側面。

つい先日、散髪をしました。ここ最近は2か月周期で髪の毛を切るんですけど、散髪って極限まで髪の毛伸ばしてからごっそり切ってもらい、床に落ちる自分の髪の毛の量にドン引きする、というのがちょっと好きです。油性ペンの匂いやコンクリートの匂いが好きとかいう、そういう次元の好きなんですけどね。

 

でも、良く考えると、散髪と言う行為って、いちいち呪術ちっくじゃないですか?だって、髪の毛って自分の一部であったもので、それが床に落とされ、そのまま処理されるんですよ?怖くないですか?その髪の毛って繰り返し言うけど元は自分の体の一部で、様々な情報を含んでるじゃないですか。古来から頭髪なんて専ら他者を呪う際に利用されてるし、有無を言わせず自分の体の可処分権(disposability)が移されるの、ちょっと不気味にも思えてきます。

 それに顔を剃ってもらう時も。剃刀の刃が自分の喉元をゾゾゾと滑る時、生殺与奪の権利が全く相手の手中にあります。散髪の際には相手が刃物を使うのに対して自分が無防備な体勢を取ることを強要される機会が多くて、これも何かの儀式みたいに感じます。生贄みたいな?その刃の緯度と経度がほんの少しズレるだけで派手に鮮血をまき散らす事になるし、たまに想像しちゃいます。そう言えばファイトクラブでも主人公が飛行機に乗る際に毎回墜落する想像をすると隣席のタイラーに漏らすシーンがありますが、丁度そのようなもので。

 そして何より、洗髪の際には、多くの美容院・床屋では椅子に凭れ掛かった状態で、顔に白い紙・布・タオルを被せられます。これって、葬式以外だと散髪の際に位しか経験するタイミングが無いですよね。椅子にもたれかかり、手を組まされて、顔に白い布がかけられると、まるで死人にでもなったような気分です。布が退けられた瞬間、僕は自分が何処にいるか確認したくなります。彼岸と此岸は紙一重で、世界を分断するのが大縄跳びの縄みたいなものやもしれません。足下が揺らぐ気分になるのは間々あります。

散髪後はスッキリして生まれ変わった気分だけど、一回死んでるのかもなぁ。