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レビュー:白鯨との闘い

1月16日から封切られた『白鯨との闘い』を早速観てきました。先に言っておくと、この映画、邦題が本気でクソです。

”闘い”って何だよ、邦題決めた奴は中身ちゃんと観たのか?大概にせえよ。

内容自体は非常に映像のクオリティが高くて満足でした。初めにまだ鑑賞していない方に向けてのレビューをしたあと、ネタバレを含む考察を述べていこうかな、と思います。(とは言っても『白鯨』読んでないクソ雑魚なので気が引ける…)

 あらすじと周辺情報

この映画はノンフィクション小説である『復讐する海:捕鯨船エセックス号の悲劇』を原作としています。この事件からインスピレーションを受けてメルヴィルはあの有名な『白鯨』を書き上げています。要は、今回の映画は『白鯨』の元になったエセックス号事件の映像化、と言う事です。

復讐する海―捕鯨船エセックス号の悲劇

復讐する海―捕鯨船エセックス号の悲劇

 

 映画の構造としては、当時のエセックス号事件を経験した者のうちの唯一の生き残りであるトマスという老爺の元に新進気鋭の小説家メルヴィンが訪れ、次の小説の為に事件の真相を聞き出しに来ている、というシチュエーションから始まります。言うまでもありませんが『白鯨』の作者であるメルヴィンが狂言回し的な役割として登場しているのです。ナレーターであるトマスは、この事件は2人の登場人物、つまり船長のポラードと一等航海士のチェイスの物語であると前置きし、話を進めます。 

1819年、鯨油が世界のエネルギー供給において重要な役割を果たしており、街灯の明かりも鯨油によって支えられている様な時代、腕利きの捕鯨屋であるチェイスは家柄だけで船長に選ばれた未熟なポラードと捕鯨基地を出港し、2000樽もの量の鯨油を求めて捕鯨基地から出港します。(作中では鯨を一匹仕留めるシークエンスがありますが、そこから採られたのが50樽程度であった事から、相当な量の捕鯨をする必要があると推察されます。) ちなみに語り手のトマスは当時は14歳の最年少でした。

しかし、1年以上の航海を経ても十分な量の鯨油を集められないエセックス号。船長と航海士の対立は先鋭化し、乗組員の間でもフラストレーションが高まります。途中立ち寄った港にてマッコウクジラの大群に関する噂を聞き、彼らの利害は一致。陸地から4000キロ以上離れた海域まで帆を上げて進むエセックス号。ついには、鯨の大群を見つけます。しかしそこには30m以上はあろう巨大な白鯨が存在し…

 

というのが大まかなあらすじです。

映画の感想としては、まず映像のクオリティが非常に高く、これは実際に映画館に足を運んで観るまでの価値があると思います。当時の商業的な捕鯨活動を物凄くリアルに再現していて、最初に港を出発する際の帆を張るシーンだけでも本当に一仕事と言う感じです。また鯨から油を採集、特に貴重である脳油の採集の場面も、「あぁこういう風に採ってたのか」と知る事が出来て興味深いものでした。そして、質量感のある迫力の捕鯨シーン、波が激しく砕ける嵐のシーン、どこもCGで描かれているんでしょうけど、違和感が全くなく引き付けられるような映像になっています。

あと、ちょっと全体的に黄色がかっている色調が、セピアっぽさを演出していて、ストーリーテリングとしても割と成功している演出になっています。あまり色調がビビッドだと嘘臭さがありますし。

物語の内容に関してですか、若干言葉足らずな部分があります。また、最後にポラードとチェイスの顛末がちゃんと語られますが、見る人によっては単なる伝記としか感じられないのかもしれません。まぁ、ドキュメンタリー以上の価値を見出せなくても、映像それだけで十分にレベルの高い作品になっていると思うので個人的にはお勧め出来る映画です。

考察(ネタバレ含)

重ね重ね言いますが、この邦題は非常に残念なものになっています。きっとマーケティング的にはジョーズの様なモンスターパニック、あるいはアクション映画として訴求したかったのでしょうが、この映画の持つ本来の意味合いを大きく削ぐ事に一役買っています。本来のタイトルは”In the heart of the sea”、直訳すると「海の心(臓)で」「大海原の奥深くで」みたいな感じでしょうか。白鯨はあくまでも象徴的なモチーフで、実はスポットが当てられているのは、海、自然の部分にあります。

この映画においては時代背景が一定効いている様に思います。つまり、捕鯨によって獲得される鯨油によりエネルギーが支えられていた時代、あまりに進む乱獲によって鯨は絶滅危惧種になりつつあります。これは実際に映画の映像からも読み取れて、鯨油市場が急速に拡大すると共に、値段が上昇しつつある描写がなされています。

主人公一行に三度立ちはだかる白鯨、これは鑑賞前はアルビノの様な綺麗で神秘的な純白をイメージしていましたが、体表に沢山の傷を受けて全体的に白く見えているだけの様でした。どうやらちょっと調べたところ、マッコウクジラは捕食するダイオウイカからのひっかき傷や一部個体では加齢とともに体色が薄くなることがあるそうです。何が言いたいかと言うと、この白鯨はその全身に刻まれた傷や30mを超えるようなサイズから察するに相当年数を重ねた鯨であり、先に述べたような人間の捕鯨の歴史の中で生き延びているのです。つまりこの鯨は人間により危機に晒されている鯨の象徴とも言える存在であります。この映画の世界観においては鯨を「神の作り出したモンスター、悪魔」と人間側の口から言わせていて、あたかも超克すべき対象の様に表現しています。しかしながら実際にその通りだったのでしょうか?

三度目に白鯨と相対した時、船長のポラードは「殺せ!」と叫び、実際、ベテランの航海士チェイスは絶好の機会を獲得します。が、彼は銛を構えたところで、白鯨との強烈なシンパシーを感じ、振り上げた銛をゆっくりと下げてしまいます。”大海原の奥深くで”、”海(自然)の心(心臓=鯨)”に相対したチェイスは、新たな視点を獲得していたのです。それは、二度目の白鯨の襲撃以後に体験した漂流という限界状況、自然の乏しい無人島生活、自然は挑む対象ではなく、圧倒的に君臨する存在であるという視点です。目先の利益を追求し自然を搾取し続けた結果、自然から大きなしっぺ返しを食らい、大海原に漂流した時には、人間が人間を食べるハメになりました。人肉を食べるときは心臓から食べた、この行為には深い意味が込められていると考えずにはいられません。

≪自然⇔人間≫という構図はベッタベタですけど、露骨過ぎもせず、鼻につくことなく映画の後景に配置されていた様に思います。前半は目に見える巨大な鯨との戦いに圧倒されますが、後半では目に見えない、大海原や無人島での焦燥・不安・餓え・乾き等との戦いにシフトし、やはり、白鯨がどうこうというよりは全体を通してみても自然に放り込まれたときの人間の矮小さみたいな部分が扱われている作品でした。

ちなみに最後にトマスとメルヴィンとの会話で石油に関して、海からではなく地面から油が取れるようになった、という言及がされていました。これは単純に鯨油の時代が終わりを告げるであろうという事以上に、石油においても全く同じ過ちが繰り返されるであろうというインプリケーションとして僕は捉えました。海の資源が枯渇しかけたら、今度は地面の資源。人間は変わらないものです。この最後の一コマがまた物語に深みを与えていた様にも感じます。

 

考察はこんなところでしょうか。ポラードとチェイスの顛末の対比やその他の細かい部分にも触れたかったんですけど、長くなったのでこの辺で。

こんなレビュー書いてる暇あったら『白鯨』読むかぁ。

白鯨 上 (岩波文庫)

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